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皆さまこんばんは。12月14日担当の柴田です。
今年も残すところあと半月、今日も一段と寒さが増しストーブの前から離れられません。
さて今日は、仕事でお世話になっている高校や中学校さんで文化祭や学芸会の際に
演奏される和太鼓を来年1月に所属する団体で発表するため、練習をしているところに
お邪魔して来ました。
いつも目にするのは練習されつくした完成形の演奏しか見たことがなかったので
一度みてみたいなと思っていたので、自分としてはすごく楽しい体験でした。
出来たら少したたけたらと思っていたのですが、お遊びでたたくような雰囲気ではなく
体の芯から揺さぶられる太鼓の音に圧倒されてしまいました。
太鼓の音ってほんとに体に響きますが、日本人としてDNAに刻まれているのか
その響きが心地よくていいですね。
さてそんな今日でしたが、今日12月14日は
1702(元禄15)年のこの日、赤穂浪士47人が本所の吉良邸に討ち入りし、主君の仇討ちを成し遂げた。
1701(元禄14)年3月、江戸城松之廊下で播磨赤穂藩主・浅野内匠頭長矩が、幕府の礼式を司る高家筆頭の吉良上野介義央に小刀で切りかかるという事件が起った。浅野には即日切腹、領地没収という厳しい処置がとられたが、吉良には一切のお咎めがなく、これが事件の発端となった。
家臣たちは主君の仇を討つ為に綿密に計画を練り、翌年12月14日寅の上刻(現在の暦法では15日午前3時ごろとなるが、当時は日の出の時間に日附が変わっていたので14日となる)、大石内蔵助の率いる47人が、本所の堀部安兵衛宅に集まり、そこから吉良邸へ討ち入った。2時間の戦いの末、浪士側は一人の死者を出さずに吉良の首を取ることができた。
世論は武士の本懐を遂げた赤穂浪士たちに味方し、幕府は翌年2月4日、一同切腹という処置をとった。
この事件を題材として、歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』等100種にも登る作品が作られ、現在まで語り継がれている。
討ち入りの際も大石内蔵助が陣太鼓をたたいている映像があったのを覚えています。
古くからいろいろなところで太鼓は使われていたんですね。
今日は伝統文化の一端に触れることが出来てよかったです。
それではまた来週。